瀬央ゆりあ 伊予部清彦
明治中期、実業家島村家の書生
仲間達との百物語で夜叉ケ池の怪談話を知る
度胸試しに一人池へ向かい
山賊に襲われている娘を助ける
池の奥底にある龍神の城・龍の宮(たつのみや)へ連れて行かれる
友人達や島村家の令嬢百合子が恋しくなり地上へ帰りたいと告げる
夜叉ヶ池にまつわる伝説
むかし、美濃の国 神戸(現在の岐阜県安八郡神戸町)に郡司安八太夫という長者(石原伝兵衛氏の祖先)がいて、たくさんの田んぼをもっていた。
ある年、大変な日照りがつづき、安八太夫をはじめ村人たちは途方に暮れていた。
信仰心の厚い太夫はこれを救おうと毎日お宮にお参りして「願」をかけていたところ、ある日乾ききった田んぼで小さな蛇に出あった(足元に巻き付いた)
太夫はこの蛇にむかって
「お前が雨を降らせてくれたなら、どんな願いもかなえよう」
と独り言を言って家へ帰った。
その夜、安次の夢枕に昼間の蛇が現れ
「私は揖斐川上流に住む龍神だ。その願いをかなえよう」
と語ると、たちまち雨雲がかかって大雨が降り、作物は生き返り村は救われた。
雨の翌日
蛇は山伏姿(若衆)になって現れ
「自分は先日の蛇である。娘を嫁にもらいたい」
太夫の三人娘のうち中の娘(夜叉姫)が嫁になることを承諾した。
太夫が「何か必要な物はないか」と問うと
娘は「今、織りかけの麻布がありますから、これを嫁入り道具にいたします」と答え、蛇の化けた男衆と一緒に、揖斐川をのぼっていった。
泣きながらつけた紅、おしろい、水鏡にうつった不憫な夜叉姫の面影を太夫は忘れることができなかった。
一週間後、太夫の夢枕に夜叉姫が立ち、「紅、白粉、匂い袋」を乞うた。
太夫がホォの葉にそれらのものを乗せて、池に浮かべると、それは風もないのに、水面をすべり、真ん中あたりで水中に沈んだ。
その後、安八太夫は、たびたび夜叉ヶ池を尋ね、龍神となった夜叉姫の姿をしのぶのであった。
こうしたことがあってから、日照りが続くと村人たちは、紅、おしろいを土産に、龍の池、夜叉ヶ池にささげるならわしとなった。
◇◇◇
817年(弘仁8年)、この年の美濃国平野庄(現岐阜県安八郡神戸町)は大旱魃に見舞われた。
◇◇◇
太夫が娘に会う別バージョン
心配した太夫は、娘に会う為に揖斐川上流へ向かった。
やがて、揖斐川上流のさらに山奥の池に龍神が住むという話を聞き、その池にたどり着いた。
太夫は池に向かい、「我が娘よ、今一度父に姿を見せておくれ。」と叫んだ。
すると、静かだった池の水面が波立ち、巨大な龍が現れた。
龍は、「父上、これがあなたの娘の姿です。もうこの姿になったには人の前に現れる事はできません。」と告げ、池の中に消えていった。
夜叉ヶ池 (戯曲)
大正2年泉鏡花が発表した戯曲夜叉ヶ池
夜叉ヶ池伝説がベースになっていますが
山麓の鐘を日に三度つかなければ夜叉ヶ池に封じ込められている龍神が暴れだすという言い伝えを破ったために龍に村を滅ぼされてしまうというお話
物語の始まりは
行方知れずになった友人を探す学者兼僧侶
友人の足跡を辿り百合という女性と出会う
その百合の夫が探していた友人だった
友人が語った今までの経緯
夜叉ヶ池の龍神・白雪
剣ヶ峰の恋人の元に行きたくて仕方がないが
鐘を鳴らすことで池に封じ込められている
村で鐘守を務める老人と出会った
老人が死んだため
その意志を継ぐべく百合と結婚して村に留まり、鐘を撞いていた
村の旱魃を救うために 生贄に選ばれる百合
百合は悲嘆のあまり自害
怒った萩原は鐘を撞けないようにしてしまう
鐘守がなくなり自由になった白雪は剣ヶ峰の恋人のもとへ
その時、夜叉ヶ池の水があふれ大洪水となり村を押し流した。
実在の池<夜叉ヶ池>
福井県の南端、三国ケ岳北側中腹、岐阜県の県境の標高1,099mに位置しています。
日本観光協会
春には若葉、秋には紅葉
池周に高山植物が群生する
アクセス
名神高速大垣ICから夜叉ヶ池登山口駐車場間約70km、車で約120分
夜叉ヶ池登山口駐車場から夜叉ヶ池間約3km、徒歩約90分
大型車(マイクロバスを含む)でのお越しはご遠慮ください。
(国道303号から登山口駐車場まで約13kmは道路幅員が狭いため)
平成30年11月19日(月)午前10時より冬季閉鎖
◇◇◇
ちょっと行ってみよう~!!
と、気軽に行ける場所では無いですが
夜叉ヶ池マラニック
イベントもあるようですね
◇◇◇
「夜叉ヶ池」
名前だけでも物語が出来そうな魅力があります
さらに池にまつわる伝説があったり
夜叉龍神社
夜叉姫が夜叉龍神という名で祀られていたり
深掘りしたくなる魅力があります。
本日もご訪問ありがとうございます
参考サイト
NPO法人夜叉ヶ池の会