越路吹雪40回忌コンサート「Après Toi~アプレ・トワ」
2020年3月14日(土)・15日(日)
企画・制作:内藤音楽事務所/ウィステリアプロジェクト
協力:梅田芸術劇場/ユニバーサルミュージック/FREEDOM STUDIO INFINITY
特別協賛:公益財団法人 岩谷時子音楽文化振興財団
主催:博多座
構成・演出:小林 香
出演:坂東玉三郎(特別ゲスト)春野寿美礼、水 夏希、紅ゆずる、凪七瑠海
Après Toi~アプレ・トワ
“あなたを思い、想い出に生きる”
直訳だと、あなたが去ったあと
同名のシャンソンも素敵な曲ですね。
キャスト
坂東玉三郎
人間国宝!
2020年4月からの月組公演
JAPAN Traditional REVUE
『WELCOME TO TAKARAZUKA -雪と月と花と-』
こちらの監修もされています。
春野寿美礼
77期生 元花組トップスター オサさん
水夏希
79期生 元雪組トップスター ミズさん
紅ゆずる
88期生 元星組トップスター さゆみさん
凪七瑠海 (宝塚歌劇団 専科)
89期生 かちゃ
すごいメンバーです。
越路吹雪
1924年(大正13年)生まれ
宝塚歌劇団27期生
1944年(昭和19年)宝塚大劇場が戦争により閉館
先行きを不暗視し退団する生徒が続出
若手たちが台頭し始め、その筆頭が越路
花組のトップスターとなる
「清く正しく美しく」のスローガンで知られる宝塚
越路はタバコを吸ったり、門限破りをしたりするなど「不良少女」のあだ名を付けられたが、人の面倒見がよく、多くの芸能人慕われた。
宝塚歌劇団在団時、同期生である月丘夢路がぬきんでた美貌を嫉妬されて他の生徒から深刻ないじめにあっていたが、見かねた越路に救われたことを月丘本人が後年になって明かしている。
1951年(昭和26年)宝塚退団
「(日本の)シャンソンの女王」
「魅せる歌手」越路吹雪
1953年(昭和28年)から当時では珍しいリサイタルを開催。
リサイタルは1965年(昭和40年)より開設間もない日生劇場に場を移し、越路が逝去する1980年(昭和55年)まで「ロングリサイタル」と称する1ヶ月に渡る長期公演を開催した。「ロングリサイタル」は歌手・越路吹雪の名声を不動のものとした。
1953年(昭和28年)フランス・パリで
エディット・ピアフを初めて聴く。
ピアフは『愛の讃歌』のオリジナル歌手
「オーケストラ、ジェスチャー、アレンジの素晴らしさに私は悲しい。ピアフを二度聴く。語ることなし。私は悲しい。夜、一人泣く。悲しい。寂しい。私には何もない。私は負けた。泣く、初めてのパリで。」と日記に書き残している。
以降シャンソン歌手としての大きな目標となる。
越路はピアフの妹シモーヌとの交流も深め、抱擁し合う写真が残されている。
1971年(昭和46年)に越路は日生劇場のロングリサイタルの演目として、劇団四季と共に「ドラマチックリサイタル 愛の讃歌 エディット・ピアフの生涯」を作り上げる。
以降越路の十八番として好評を博す。
独身時代、三島由紀夫の恋人だったことがある。
1980年(昭和55年)7月
重度の胃潰瘍との診断を受け、胃の5分の4を切除する大手術を受けた。
実は本当の病名は胃潰瘍ではなく「末期の胃癌」
腹膜にも多数の癌が転移していたが
当時本人には告知されなかった。
1980年(昭和55年)11月7日
56歳で死去。
記事参照wikipedia
お名前は聞いたことがありましたが
こんな魅力的な方とは知りませんでした。
勉強になりました。
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